2011・3・6のメッセージ

「主の教会を建て上げるもの」

マタイ7:3~5

11・3・6

Ⅰ教会の全員が、人をさばかず、まず自分自身の罪を悔い改める事「なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか」:3。私たちが人さばいてはならない理由は、私たちがさばく能力がないから。まず自分の罪を悔い改めない人は、人をさばく資格はない。人をさばけば私たちも神の裁きを受け、人を量る量りで、自分の受ける基準を決めている。すべてを見抜き、知っておられる神の目を常に意識している人は、まず自分自身に矛先を向ける。私たちは、自分のことは見逃し、他人ばかりを批判することを悔い改めたい。過度のさばき、批判の精神は、相手の罪、過ちを除去してあげる事ではなく、その人をやっつけようとしてしまう。事と人格を区別すべき。偏見、私的感情、私的敵意がるなら公平なさばき、判断はできない。その人自身とその人の行動を区別して判断できるように祈ろう。「兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせて下さい』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか」:4。主は、あなたの状態はとても他人を助ける状態ではないと言われる。私たち自身の目にある梁(横渡しの材木。他人のちりより大きい罪のたとえ)が、他の人の目のちりを取ることができなくしている。自分の心の目の中に梁、悔い改めていない罪、人を非難する罪があるなら、心の目はふさがれ、他人を正しく見る事はできない。「偽善者よ。まず自分の目の梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます」:5。真の問題は、私たちが、相手を真に助けたいと思はず、相手をやっつけたいと思っていながら助けるふりをする偽善。もし私たちが、本当に相手の罪に気づかせ主に立ち返えることを助けてあげたいなら、まずこれまでの自分の精神、態度が間違っていたことを自覚したい。自分の中にある人をさばき、過度に批判し、あら捜しする心こそ、相手の目のちりに比べたら、梁、大木のようなもの。全く正直に真正面から自分自身と取り組み、自分の罪、人を過度にさばく罪を心から神の前に悔い改めよう。Ⅰコリ13章を絶えず心に留めたい。真の「愛がなければ、何の役にもたちません」:3。識別力と愛を祈り求めよう。他人の罪ではなく、自分自身の罪を見つめる時、それは私たちをちりへとへりくだらせる。このようにして自分の目から梁を取りのける時、私たちは、他人の目の小さなちりを取りのけるのにふさわしい者として神は用いられる。しかし、目は敏感で何か触れるならすぐに閉じる。それ故に、人の目のちりを取り除くのに必要なのは、祈り求め神からいただく深い憐れみ、忍耐、落ち着き、冷静さ、謙遜、柔和→「柔和な心でその人を正してあげなさい」ガラ6:1。「愛をもって真理を語り」エペ4:15。上から威圧的にがみがみ言うなら、人は傷つき心を閉ざす。しかし、愛を持って柔和な心で接するなら人々は心を開き、耳を傾ける。「だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい」ヤコ1:19。Ⅱ「キリスト御自身が…ある人を牧師また教師として、お立てになった」エペ4:11。主が立てられた牧師が与えられ、牧師を通して主の御言葉が忠実に語られ、御言葉によって聖徒たちが整えられ、力量に相応しく互いに奉仕をし、主の教会を建て上げる。御言葉に養われ、間違った教えから守られる。4:12,13。

Ⅲ牧師交代において前任者と後任者を比較しない。前教会と就任した教会を比較してさばかない。それぞれの気質、賜物、経験、年齢、家族構成、家族環境等の違い(同じ人でも年齢や状況で働き方が変わる)を認め合い支え合い主の教会を建て上げる。「私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。私たちは、限度を超えて誇りはしません。私たちがあなたがたのところまで行くのも、神が私たちに量って割り当ててくださった限度内で行くのです」Ⅱコリ10:12,13。私たちは皆、他と比較され非難されては良さは出ない。私たちは人との比較ではなく自分に神が与えられた賜物を認め、「力量にふさわしく働く」(エペ4:16)事が大切。Ⅳ奉仕を引き継いだ後は、相手に任せ、干渉し過ぎず、スムーズに行くこと、行かない事を含めてすべてのプロセスに主は働かれ、新しい事をされる事を認める。時満ちて奉仕を引き継いだ時→「奉仕の務めから退き、もう奉仕してはならない。その人はただ、会見の天幕で、自分の同族の者が任務を果たすのを助ける事はできるが、自分で奉仕してはならない」民数記8:25,26。Ⅴ教会には三つの面の使命がある。①神に対して:礼拝。ヨハ4:23,24。②お互いに対して:互いに愛し合い、御言葉に養われ主の姿に共に成長していく。エペ4:13。③世に対して:愛を示しつつ主を証しし、福音を伝える。愛を持って関係作りをしつつ、主を伝える事が大切→「ことば(神であるキリスト)は人となって、私たちの間に住まわれた」ヨハ1:14。キッズトーク、ゴスペル教室他、教会の業として祈り支えたい。聖霊は関係の中に働かれる。Ⅵ主が立てられた牧師、家族の為に祈り支える。「だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか」Ⅱコリ11:29。「福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください」エペ6:19。「みことばを教えられる人は、教える人とすべての良いものを分け合いなさい」ガラ6:6。的を得た祈り合い支え合いをするために、「お互いに知り合う」。主を中心に顔と顔とを合わせ、真実と愛をもって対話をし牧師(家族)と教会員が交わる時を持つ。初めから理解し合う事は難しい。関係作りをしつつ徐々に理解し合い祈り合い支え合う。

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